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ヴァシリー・カリンニコフ

う゛ぁしりー かりんにこふ
1866 - 1901
ユリウス暦 ロシア 作曲家
ヴァシリー・カリンニコフさんについて
オリョーリ県オリョーリ出身。イワン・ツルゲーネフと同郷である。貧しく倹しい警官の家庭に生まれる。後にやはり作曲家となった弟ヴィクトルとともに、少年時代から楽才を顕し、14歳で地元の聖歌隊の指揮者を務めるまでになる。

その後モスクワ音楽院に進むが、学費を納入できずに退学させられる。その後、奨学金を得て、モスクワ楽友協会付属学校(en)でファゴットを学ぶかたわら、アレクサンドル・イリインスキーに作曲を師事。劇場の楽団でファゴットやティンパニ、ヴァイオリンを演奏するかたわら、写譜家としても働いて生計を立てた。この時期に親友のクルグリノフと出会った。

1892年にチャイコフスキーに認められ、マールイ劇場の指揮者に推薦され、それから同年にモスクワのイタリア歌劇団の指揮者も務める。以前からの過労が祟って健康が悪化し、結核に罹患したために、やむなく劇場での活動を断念し、温暖な気候のもとでの転地療養を余儀なくされてクリミア南部に向かう。生涯の終わりをヤルタで過ごした。2つの交響曲とアレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイの《皇帝ボリス》のための劇付随音楽は、同地で作曲されている。

セルゲイ・ラフマニノフが楽譜出版社ユルゲンソンにかけ合ったおかげで、3つの歌曲が120ルーブルで買い取られ、その後《交響曲第2番》も売れた。循環形式を用いた《交響曲第1番》は、作曲者の存命中にモスクワのほかベルリンやウィーン、パリでも演奏されたが、病が悪化していたため1897年の初演にも立ち会うこともかなわなかった。交響曲第1番の出版と35歳の誕生日を目前にして世を去った。ユルゲンソン社主ピョートルは、後にカリンニコフが受け取るべき報酬を増額して未亡人に支払った。

病のため、カリンニコフはウラル山脈の山荘に転居した。小品の多くがこの地で書かれたが、カリンニコフは稼ぎが無いまま一生を終えた。

遺された弟ヴィクトルは奉神礼音楽や合唱曲の作曲家となり、楽友協会付属学校の教壇に立った。

[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%95]
2019.12.12 ID:352827
演奏会情報
§専修大学フィルハーモニー管弦楽団
第47回定期演奏会
2019年12月13日(金) 開演時間: 未定
カルッツかわさき (川崎市スポーツ・文化総合センター) 大ホール
[川崎駅/京急川崎駅 下車]
ヴェルディ/歌劇「ナブッコ」序曲
ビゼー (ギロー編)/「アルルの女」第2組曲
カリンニコフ/交響曲第1番
専修大学フィルハーモニー管弦楽団
小澤和也 (指揮)
2019.04.14 ID:298881
2019年4月13日、国際基督教大学の学生オーケストラにて、交響曲第1番を拝聴いたしました。
2019.02.23 ID:286597
交響曲、大好きです
 ID:27169
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