思想家・教育家。豊前中津藩士の子。緒方洪庵に蘭学を学び、江戸に洋学塾を開く。幕府に用いられ、その使節に随行して3回欧米に渡る。維新後は、政府に仕えず民間で活動、1868年(慶応4)塾を慶応義塾と改名。明六社にも参加。82年(明治15)「時事新報」を創刊。独立自尊と実学を鼓吹。のち脱亜入欧・官民調和を唱える。著「西洋事情」「世界国尽」「学問のすゝめ」「文明論之概略」「脱亜論」「福翁自伝」など。なお福澤は、男女同等論を唱えながら存娼論者でもあった。妾を養うことも芸者を買うことも隠してせよ、と隠匿論を述べ、公娼制度を積極的に肯定し、『品行論』(明治18年12月出版)のなかでは「社会の安寧」「社会の秩序」のために公娼制度はぜひ必要であると主張している。しかし、その娼婦を称して「其業たる最も賤しむ可く最も悪(にく)む可くして、然かも人倫の大義に背きたる人非人の振舞なりと云ふの外なし」と罵り、隠れて遊べと言っている。また「人生の天賦にかく強弱の差あるは決して偶然にあらず。父母先祖の血統に由来するもの」とも述べ、遺伝絶対論を唱えた。
参考サイト1
参考サイト2