まいり
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徳川治宝

とくがわ はるとみ
1771 - 1852
数寄の殿様 紀州藩主
徳川治宝さんについて
通称「一位老公」。
官位で従一位に生前昇進した唯一の大名。
武家では将軍以外ありえなかった。
文化芸術に造詣が深く、紀州南葵文化の最盛期を生きた。
5日前 ID:1489325
南海の獅子
市博の特別展を拝見しました。
http://www.wakayama-city-museum.jp/2025autumn.pdf

側近の伊達千広が、あなたの事を詠んだ歌が記された焼き物が最も印象的でした。

「君が代は 老いせぬ橋と 造るなり
      和歌の浦波 若返りつつ」

あなたが亡くなる少し前、和歌浦の「不老橋」に掛け、お殿様に長生してほしいという願いを込めて作られている。よほど慕われていたのでしょうね。
残念ながらそれは叶わず、あなたの死と共に文化文政期、ひいては紀州の江戸時代は実質終了。直後に黒船が来航し、混乱しながら藩政は終焉します。

多くの人が、治宝公のあの輝かしい日々を懐かしく、また切なく振り返った事であろうと想像できます。
2024.01.22 ID:1460158
南葵文華
現今の和歌山城天守閣は、空襲で焼失した戦前天守を復元した3代目。
そのモデルこそ、貴方が建てられた2代目の天守閣。
戦国末期に出来た初代は豊臣系の漆黒デザイン。
それを白亜の徳川系の城にチェンジさせた。
貴方こそ、今ある和歌山城の「生みの親」と言っても過言じゃないですね。
2021.08.29 ID:1293320
生誕250周年記念の企画展を見ました。
貴方が揮毫した大きな扁額の漢字は達筆で迫力があり、瞠目しました。
 ID:26271
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