まいり

徳川光圀

とくがわ みつくに
1628 - 1701
常陸水戸藩の第二代藩主
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2020.08.08 ID:687561
水戸の講道館に光圀公に関する資料がたくさんあったような気がする。
「大日本史」の原本のようなものも・・?
2020.07.17 ID:642268
諸国漫遊記
2020.06.14 ID:627794
cfb48
時代劇ドラマの暴れん坊将軍で陰謀に巻き込まれた黄門さまというのがあります。軽薄にされた貴方の養子の甥があの漫遊記を読んで貴方に憧れ困惑するお付きともに無理やり諸国漫遊に出ようとして水戸藩の悪人が復帰し水戸藩乗っ取りを企んで甥の命を狙い徳川吉宗に阻止されるというストーリーです。どう思いますか?
2020.02.19 ID:382956
黄門というのは中納言のことですね。

皇国史観の生みの親、忠臣・大楠公を世に弘めた人でもありますね。
その恩で、湊川神社には光圀公の顕彰碑も立ってます。
2020.02.19 ID:382937
皇室に敬意を払っていた殿様ですよね。
素晴らしい。
2019.05.12 ID:306053
生類憐みの令を光圀公は、どう思われていたんだろうか。
2019.05.12 ID:306049
郷土の英雄です。

光圀公ありがとうございます!
2019.05.12 ID:306042
黄門様が国民から親しみを持たれているのは皇室に敬意を表していたからということなのかもしれませんね。
2019.05.12 ID:306038
黄門様は、松の廊下事件の前に亡くなったんですね。
ご存命ならば、綱吉の赤穂への裁きも違っていたのかも知れませんね。赤穂藩も尊皇と聞いております。
2019.05.12 ID:306029
黄門さまの功績はいろいろと大きかったんだなぁ。
2019.05.12 ID:305956
武家なのに皇室の歴史書を編纂する・・素晴らしいです。
皇室を蔑ろにする武士も結構いましたから。
2019.05.11 ID:305865
黄門さまは保守だった。

何か嬉しいですね。
2019.05.11 ID:305837
天皇家を敬わっていた武家。
光圀公の末裔である慶喜公が江戸城を無血開城した大政奉還が成ったのも、水戸徳川家のご先祖様の教えがあったからこそでしょう。
茨城県人として、誇りに思います。
2019.05.11 ID:305703
地元、茨城県域の古墳研究が進展するように天より見守って下さい。
2019.05.07 ID:304991
非常に天皇家を敬っていた方です。
江戸時代に武家のトップとして君臨していた徳川家のお偉いさんなのに尊敬に値しますね。
同じ武士でも皇室を軽んじている者も多かった時代に。
水戸藩の浪士に討たれた井伊直弼などその最たる者かも?
時代を遡れば北条氏などもそうでしょうね。
2019.05.07 ID:304956
栃木県にある古墳の学術発掘を手がけたことが印象に残っています。
2019.05.06 ID:304669
光圀さんは家康公のお孫さんですね。
2019.05.06 ID:304663
お父様の頼房公も皇室への敬意を抱かれていられたそうです。
水戸徳川家は素晴らしいですね。
2019.05.06 ID:304613
とても皇室への敬意を抱いていたそうです。
「大日本史」もそういう敬意の念があって生まれたものだと思います。
2019.03.04 ID:288726
テレビドラマ「水戸黄門」で、蝦夷地に渡った黄門様(東野英治郎)、格さん(横内正)、八兵衛(高橋元太郎)が、アイヌの人々に火あぶりにされそうになる。薪に火が点いて、
黄門様「心頭滅却すれば火もまた涼し(笑)」
八兵衛「涼しい火なんてあるものか(泣)」

水戸黄門は、蝦夷地には行かなかったが、1688年まで3回、快風丸を蝦夷地に派遣し、最後の航海は松前から北上して石狩に達した。
2019.02.23 ID:286559
今日、イベントで、水戸黄門opを、演奏させて、いただきます。合掌
2019.02.23 ID:286517
武田(鉄矢)黄門第2弾 5月スタート、九州復興の旅へ 熊本城、原鶴温泉などを巡る
2018.02.11 ID:223897
「圀」はパソコンで表示出来る唯一の則天文字
2016.07.03 ID:160654
きん
諸国漫遊の旅天国でも旅してください
 ID:17788
お悔やみ申し上げます
1701年01月14日に亡くなった人