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五条庸子

ごじょう ようこ
1660 - 1683
五条為庸の娘 霊元天皇の女官
五条庸子さんについて
天皇に仕える公家の一つであった五条中納言家の正二位権大納言五条為庸(ごじょう ためのぶ)の娘として、右衛門尉であった南部宣行の娘との間に生まれる。※五条中納言家は菅原氏(すがわらうじ)を祖先としているため、資料によっては本来の菅原姓を用いて「菅原庸子」と記されている。
第112代天皇である高貴宮識仁(あてのみや さとひと 以下・霊元天皇)の女官として仕え、新内侍→菅内侍→菅内侍局を経て少将内侍となった。別名「菅中納言局」とも呼ばれる。庸子とともに霊元天皇の女官となり「中納言典侍」と呼ばれた五条経子は妹。霊元天皇の寵愛を受けて三人の皇子を出産しており、後に出家して天台座主・尭延入道親王(ぎょうえんにゅうどうしんのう)となった周慶親王(ちかよししんのう)は霊元天皇と庸子との間に生まれた第五皇子。他の二人の皇子は若くして亡くなっている。1683年(天和3年)に23歳(満24歳)で死去。
本能寺境内の信長公廟の近くに墓所があり、『菅中納言局庸子の石塔』と説明されている。戒名は石塔に【清光院殿浄心信敬尊儀】と刻まれているが、正しくは【宝樹院浄心】である。
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