円信院殿
えんしんいんでん
- 1573
種子島時堯の二女 島津義久の継室
- 命日まであと4日です。
- 亡くなってから450年361日過ぎました。
- 1573年12月23日に亡くなりました
- 没後446年が経過しました。
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円信院殿さんの主な法要の日を表示しています。
命日は12月23日です。
仏式の場合
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初七日 - 1573年12月29日
四十九日 - 1574年02月09日
百か日 - 1574年04月01日
一周忌 - 1574年12月23日
三回忌 - 1575年12月23日
七回忌 - 1579年12月23日
十三回忌 - 1585年12月23日
十七回忌 - 1589年12月23日
二十三回忌 - 1595年12月23日
二十五回忌 - 1597年12月23日
二十七回忌 - 1599年12月23日
三十三回忌 - 1605年12月23日
五十回忌 - 1622年12月23日
百回忌 - 1672年12月23日
百五十回忌 - 1722年12月23日
二百回忌 - 1772年12月23日
三百回忌 - 1872年12月23日
神式の場合
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十日祭 - 1574年01月01日
二十日祭 - 1574年01月11日
三十日祭 - 1574年01月21日
四十日祭 - 1574年01月31日
五十日祭 - 1574年02月10日
一年祭 - 1574年12月23日
三年祭 - 1576年12月23日
五年祭 - 1578年12月23日
十年祭 - 1583年12月23日
二十年祭 - 1593年12月23日
三十年祭 - 1603年12月23日
四十年祭 - 1613年12月23日
五十年祭 - 1623年12月23日
百年祭 - 1673年12月23日
百五十年祭 - 1723年12月23日
二百年祭 - 1773年12月23日
三百年祭 - 1873年12月23日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 1573年12月25日
追悼ミサ(七日目) - 1573年12月29日
追悼ミサ(三十日目) - 1574年01月21日
死者記念のミサ(一年目) - 1574年12月23日
死者記念のミサ(十年目) - 1583年12月23日
死者記念のミサ(二十年目) - 1593年12月23日
死者記念のミサ(五十年目) - 1623年12月23日
死者記念のミサ(百年目) - 1673年12月23日
死者記念のミサ(二百年目) - 1773年12月23日
死者記念のミサ(三百年目) - 1873年12月23日
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1時間:0人 1日:0人 1週:1人 1カ月:5人 1年:93人
詳細
円信院殿さんについて
天文12年(1543年)に種子島に伝来した鉄砲の国産化を進めた種子島時堯と、島津忠良の娘である島津にしの間に次女として生まれる。本名は不明だが、妙蓮夫人と呼ばれていた。1556年(弘治2年)に両親が離婚した後は母方の実家である島津家に身を寄せていて、1562年(永禄5年)に島津義久の継室となった。1563年(永禄6年)に義久の次女である島津新城(しまづ しんじょう)、1571年(元亀2年)に三女の島津亀寿(しまづ かめじゅ)を産むが、二年後に亡くなった。
墓所は本能寺の東にある「本能寺ノ変戦没者合祀墓」の北にあり、法名は【円信院殿妙連大姉】または【円信院殿実渓妙蓮大姉】
島津義久は出家して龍伯を名乗ったことから、墓所の近くの説明文には『島津義久(出家名龍伯公)夫人の石塔』と記されている。
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