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山名藤幸

やまな ふじゆき
- 1564
伯耆国 武将 戦国武将
2020.04.14 ID:573946
山名藤幸さんの死去は1569年が正しいようです、1564年は江美城が落城した年、尼子に忠誠を誓った蜂塚一族を毛利方の杉原盛重と一緒に成って攻め落としたのですね、1569年山中鹿之助率いる尼子再興軍に日野衆を引き連れ参加したが破れて美作に逃れる途中追い詰められ自害したと土地の古老は話していました。
2018.05.28 ID:239272
三上茂文
作陽誌に永禄12(1569)年「敗れて走りここに至りて自刃す」とあるのが、真庭市蒜山上徳山の林の中の五輪の塔(蒜山文化財)です。1564年は毛利方杉原、山田軍勢に堪えきれず江尾城落城の年で、城主尼子方蜂塚の妻お市の方は妹で、蜂塚を支援したとも。その前年、その軍勢と共に尾高城攻めに成功しておりながらです。ただ藤幸の養子となっていた毛利方の宮景幸は父を討つに忍びず俣野のお土居城に追放した(匿った説も)。
2018.05.03 ID:235361
三上茂文
居城伯州俣野から内海峠を越えて美作へ抜ける間道・真庭市蒜山上徳山の山中に藤幸の墓と伝えられる五輪の塔(蒜山文化財)が現存します。その脇に「伯州庄山城主陰山藤行之墓・願主佐藤治郎衛」との石碑あり。この石碑は後年建てられたものと思われます。生山・陰山・藤行に違和感はありますが、作陽誌に「その末は雲州にあって毎年来たりて茶菓灯燭を常備する」とある。
 ID:11422
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