楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
千早赤阪の籠城戦で倒幕活動を起こし、鎌倉幕府からは「悪党」と呼ばれた。足利尊氏と並ぶ「建武の新政」の立役者。後醍醐天皇の側近として名和長年、結城親光、千種忠顕と合せ「三木一草」とよばれた。尊氏の反抗後は南朝軍の一翼を担い、延元元年湊川の戦いで尊氏の軍に敗れ自害した。その地に後世、徳川光圀により「忠臣楠子」墓碑が建てられ、近代では「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)に正一位を追贈された。家紋は菊水(きくすい)。
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