馨子内親王
けいしないしんのう
1029 - 1093
後一条天皇の皇女 中宮 斎院
- 亡くなってから931年85日過ぎました。
- 64歳で亡くなりました。
- 1029年02月17日に誕生、1093年09月26日に亡くなりました。
- 生誕991年が経過しました。没後927年が経過しました。
暮らした時代は、長元 から 寛治 です。一覧
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馨子内親王さんの暮らした時代を表示しています。
長元(9年84日)
長暦(4年223日)
長久(5年2日)
寛徳(2年158日)
永承(7年259日)
天喜(6年231日)
康平(7年353日)
治暦(4年246日)
延久(6年135日)
承保(4年82日)
承暦(4年109日)
永保(3年360日)
応徳(4年58日)
寛治(7年141日)
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馨子内親王さんの主な法要の日を表示しています。
命日は09月26日です。
仏式の場合
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初七日 - 1093年10月02日
四十九日 - 1093年11月13日
百か日 - 1094年01月03日
一周忌 - 1094年09月26日
三回忌 - 1095年09月26日
七回忌 - 1099年09月26日
十三回忌 - 1105年09月26日
十七回忌 - 1109年09月26日
二十三回忌 - 1115年09月26日
二十五回忌 - 1117年09月26日
二十七回忌 - 1119年09月26日
三十三回忌 - 1125年09月26日
五十回忌 - 1142年09月26日
百回忌 - 1192年09月26日
百五十回忌 - 1242年09月26日
二百回忌 - 1292年09月26日
三百回忌 - 1392年09月26日
神式の場合
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十日祭 - 1093年10月05日
二十日祭 - 1093年10月15日
三十日祭 - 1093年10月25日
四十日祭 - 1093年11月04日
五十日祭 - 1093年11月14日
一年祭 - 1094年09月26日
三年祭 - 1096年09月26日
五年祭 - 1098年09月26日
十年祭 - 1103年09月26日
二十年祭 - 1113年09月26日
三十年祭 - 1123年09月26日
四十年祭 - 1133年09月26日
五十年祭 - 1143年09月26日
百年祭 - 1193年09月26日
百五十年祭 - 1243年09月26日
二百年祭 - 1293年09月26日
三百年祭 - 1393年09月26日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 1093年09月28日
追悼ミサ(七日目) - 1093年10月02日
追悼ミサ(三十日目) - 1093年10月25日
死者記念のミサ(一年目) - 1094年09月26日
死者記念のミサ(十年目) - 1103年09月26日
死者記念のミサ(二十年目) - 1113年09月26日
死者記念のミサ(五十年目) - 1143年09月26日
死者記念のミサ(百年目) - 1193年09月26日
死者記念のミサ(二百年目) - 1293年09月26日
死者記念のミサ(三百年目) - 1393年09月26日
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1時間:0人 1日:0人 1週:6人 1カ月:15人 1年:187人
詳細
馨子内親王さんについて
平安時代の皇族、中宮、斎院。後一条天皇第2皇女。母は中宮藤原威子(いし)。同母姉に、後冷泉天皇の中宮となった章子(しょうし)内親王がいる。
姉の章子内親王に続いて皇女であったため、男子を期待していた宮中の人々からは出生時に白眼視されたという。1031年、3歳で賀茂斎院となる。
のち祖母(伯母でもある)上東門院彰子のもとで養育され、51年に23歳でいとこの尊仁(たかひと)親王(後の後三条天皇)に入内。この入内は、尊仁親王及びその母禎子(ていし)内親王と藤原頼通一派との対立を和らげようという彰子の意向であった(後冷泉天皇に皇子が誕生しないのを焦った彰子・頼通一派による皇子誕生のための打開策と思われる)が、うまくいかなかった。
尊仁親王との間に1男1女をもうけるが、2人とも夭逝。68年尊仁親王が即位、それに伴い翌年中宮となる。しかし天皇の寵愛は専ら女御(にょご)源基子(きし)に向いていた。
72年天皇が譲位、翌年上皇と共に出家するが間もなく上皇は崩御。以降は西院(さいいん)(淳和天皇が造った離宮・淳和院の別名)で暮らし、「西院皇后」と呼ばれた。
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