橘逸勢
たちばな の はやなり
782 - 842
官吏 書家 貴族 遣唐留学生 平安の三筆の一人
- 亡くなってから1182年87日過ぎました。
- 60歳で亡くなりました。
- 782年に誕生、842年09月24日に亡くなりました。
- 生誕1238年が経過しました。没後1178年が経過しました。
暮らした時代は、天応 から 承和 です。一覧
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橘逸勢さんの暮らした時代を表示しています。
天応(273日)
延暦(24年258日)
大同(5年136日)
弘仁(14年115日)
天長(11年10日)
承和(9年225日)
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橘逸勢さんの主な法要の日を表示しています。
命日は09月24日です。
仏式の場合
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初七日 - 0842年09月30日
四十九日 - 0842年11月11日
百か日 - 0843年01月01日
一周忌 - 843年09月24日
三回忌 - 844年09月24日
七回忌 - 848年09月24日
十三回忌 - 854年09月24日
十七回忌 - 858年09月24日
二十三回忌 - 864年09月24日
二十五回忌 - 866年09月24日
二十七回忌 - 868年09月24日
三十三回忌 - 874年09月24日
五十回忌 - 891年09月24日
百回忌 - 941年09月24日
百五十回忌 - 991年09月24日
二百回忌 - 1041年09月24日
三百回忌 - 1141年09月24日
神式の場合
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十日祭 - 0842年10月03日
二十日祭 - 0842年10月13日
三十日祭 - 0842年10月23日
四十日祭 - 0842年11月02日
五十日祭 - 0842年11月12日
一年祭 - 843年09月24日
三年祭 - 845年09月24日
五年祭 - 847年09月24日
十年祭 - 852年09月24日
二十年祭 - 862年09月24日
三十年祭 - 872年09月24日
四十年祭 - 882年09月24日
五十年祭 - 892年09月24日
百年祭 - 942年09月24日
百五十年祭 - 992年09月24日
二百年祭 - 1042年09月24日
三百年祭 - 1142年09月24日
キリスト教式の場合
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追悼ミサ(三日目) - 0842年09月26日
追悼ミサ(七日目) - 0842年09月30日
追悼ミサ(三十日目) - 0842年10月23日
死者記念のミサ(一年目) - 843年09月24日
死者記念のミサ(十年目) - 852年09月24日
死者記念のミサ(二十年目) - 862年09月24日
死者記念のミサ(五十年目) - 892年09月24日
死者記念のミサ(百年目) - 942年09月24日
死者記念のミサ(二百年目) - 1042年09月24日
死者記念のミサ(三百年目) - 1142年09月24日
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1時間:0人 1日:1人 1週:1人 1カ月:16人 1年:185人
詳細
橘逸勢さんについて
平安時代初期の官人,書家。入居(いるいえ)の子,奈良麻呂の孫。延暦23(804)年遣唐使に従って空海,最澄らと入唐。唐人から橘秀才と称賛された。帰国後,従五位下に叙せられ,承和7(840)年但馬権守となる。承和の変で捕えられ,本姓を除いて非人逸勢と呼ばれ,伊豆に流罪と決まったが護送の途中遠江で病死。のち嘉祥3(850)年罪を許された。空海,嵯峨天皇とともに三筆といわれる書道の名人で,隷書を最もよくし,平安京の大内裏の諸門の額の多くは彼の筆に成るといわれる。また御物で逸勢の書と伝えられる『伊都内親王願文』は,書道史上高い位置を占め,9世紀の逸品といえる。
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