まいり
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蘇我倉山田石川麻呂

そがのくらのやまだのいしかわのまろ
- 649
大化 豪族
2020.12.15 ID:1160969
先日、山田寺跡に行って参りました。
四方を緑の木々に囲まれた閑静な場所にありました。
石川麻呂様一族のお墓にも参りたかったのですが・・。
飛鳥は本当に心の落ち着く場所ですね。
2020.08.05 ID:684750
今年もまた飛鳥に参りたいと存じます。
石川麻呂さまや長屋王など、あの時代の政治家に想いを馳せたいと思います。
2020.08.02 ID:682439
古代のロマンを感じさせる興福寺の仏頭。
石川麻呂さまをイメージした仏像の頭だったとは・・。
2020.07.30 ID:679884
持統天皇のお祖父さまです。
2020.07.20 ID:666357
石川麻呂さまのお孫様に当たられる持統天皇が石川麻呂さまの御霊を慰めるために建立されたという「山田寺の大仏」。
その仏像は石川麻呂さま一族が自死された数十年後に完成したそうです。
ひっそりと山田寺に安置されていましたが平氏の「東大寺焼き討ち事件」の後に安置する仏像が亡くなり困っていた南都の僧たちによって強奪され興福寺に安置されることとなってしまいました。
長い年月の間に火事(戦災?)が起き、その際にその仏像も焼けてしまい、頭部のみが残ったとのことです。
その、全てを達観するような慈しみに満ち溢れた仏頭の表情には石川麻呂様の面影が宿っているとも伝えられています。
2020.06.20 ID:629800
持統天皇は石川麻呂様のお孫さまに当たるのですよね。
2020.05.11 ID:601690
コロナが収束したら飛鳥に参ります。
2020.03.14 ID:390580
山田寺から強奪された仏像。
現在、興福寺の宝物館に国宝として展示されている仏頭こそ、石川麻呂さまの化身と言われている仏頭なのですね。
その、全てを超越したかのような微笑を湛えた仏頭は1300年余りの時を超えて我々に何かを語りかけているように思えます。
2020.03.13 ID:390312
乙巳の変では朝鮮からの上奏文をお上に読み上げるという役割。
それを読み上げている間に刺客が蘇我入鹿を襲い、討ち取るという筋書きでございました。
その計画を知らされたのが決行日の数日前だったとか。
いくら、愛娘を中大兄皇子に嫁がせているからとはいえ大変なご決心であったことでしょう。
2020.03.13 ID:390310
いつの日か、山田寺の遺跡に行ってみたいと思います。
2020.03.11 ID:389805
元正天皇は元明天皇の娘様ですので石川麻呂さまのひ孫にあたりますね。
失礼いたしました。
2020.03.11 ID:389802
娘を皇族に嫁がせていたため石川麻呂殿のお孫様(女性)が元明、元正両天皇となりました。
元明天皇の異母兄弟である施基親王(天智天皇系)の直系が現在の皇室に繋がっています。
2020.03.11 ID:389656
奈良県下にある国立・私立大学において貴方の研究がさらに進展することを期待したいですね。
2020.03.07 ID:388486
石川麻呂さまのお孫さまの持統天皇がお祖父さまが亡くなられて36年後に山田寺を完成させたそうです。
物心ついてからお祖父さまの死の真相を知らされて祖父の菩提寺である山田寺の完成を成し遂げなければと決心されたのでしょうね。
2020.03.07 ID:388285
興福寺の仏頭は石川麻呂様の化身のようなものなのだなあ。
2020.03.06 ID:388142
聖徳太子のご長男である山背大兄王子、この蘇我倉山田石川麻呂、有間皇子、そして長屋王とこの時代には血なまぐさい政争が相次ぎました。
2020.03.06 ID:387899
興福寺の仏頭には石川麻呂さまの面影があるとも言われていますね。
優しくて、穏やかな方だったのでしょうか・・?
2020.03.05 ID:387887
興福寺の宝物館に展示されている仏頭は山田寺から持ち込まれたものとのことですが元は石川麻呂殿の供養のために造られた大きな仏像だったようです。
その全てを達観したような静かな表情は石川麻呂殿を弔う仏像としてふさわしいものと言えましょう。
2020.03.05 ID:387825
天での御多幸をお祈りします。
2020.03.04 ID:387590
讒言により自死させられた石川麻呂殿とその一族、及び当時の皇太子(中大兄皇子)の妃であった石川麻呂殿の愛娘である越智娘に謹んで哀悼の意を捧げます。
2020.03.04 ID:387577
日本初の右大臣はこの方だったそうです。
2020.03.04 ID:387514
有名な「乙巳の変(蘇我入鹿暗殺事件)」で朝鮮からの使者の手紙を読む役割をしたのが石川麻呂。(その間に刺客が入鹿暗殺する手筈だった。)
しかしいくら文書を読み進めても誰も出て来ないため石川麻呂の両手はブルブルと震え、額からは玉のような汗がしたたり落ちたという。
入鹿からその姿を不審がられ、「なぜ、そんなに震えておるのか?」と尋ねられると咄嗟に「大君の御前で怖れ多く存じております故」と答え、事なきを得た。
その直後、しびれを切らした中大兄皇子が入鹿に襲い掛かり刺客たちも後に続き入鹿は暗殺された。
2020.03.04 ID:387467
この方も政争の犠牲者でした。
 ID:2797
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