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小柳津要人

おやいづ かなめ
1844 - 1922
実業家 武士 岡崎藩士 丸善3代目社長
小柳津要人さんについて
三河国岡崎にて誕生。
幕末の動乱期、徳川への忠義を胸に仲間と脱藩。
旧幕府軍遊撃隊第三軍(岡崎隊)の一員となり
沼津から箱館・五稜郭までを戦い抜いた。

戦後は、沼津の乙骨塾並びに慶應義塾で学び
明治6年 ( 1873年 )横濱丸善商社に入社。
丸善大阪支店支配人、東京本店支配人を経て
明治33年(1900年)丸善3代目社長となる。
福澤諭吉に「 士魂商才 」といわれたほどの人物。
4日前 ID:1465189
小柳津さん

今日は高木作蔵さんの命日です。
え、誰だ?と思いましたか?

青山霊園でまだ1軒家だった頃
小柳津さんたちのおうちの
後ろにいらした方です。

小柳津さんたちのお墓参りに行った際
こんにちは!といつも挨拶していました。
ただの墓石に感じず
奥さんの梅子さんと並んで
いつもお墓参りをする私を
微笑ましく見ていてくださる
そんな温かさを感じていたからです。

小柳津さんたちが一軒家でなくなってから
一度会いに行ったきり。
ご夫妻はいまもあの場所にいるのかな…

あの不思議な不思議な
小柳津さんのお墓の出来事から10年。

集合住宅は窮屈かもしれないですが
小柳津さんたちがいまも変わらず
青山霊園にいてくださることが
本当にありがたく嬉しいです。

人は例え亡くなっても
その絆や心は永遠に残る

そう教えてくれたのは小柳津さんです。

私の大切な小柳津さん。
いつもありがとう。
宗吾さん、淑子さん、惟吉さんにも
よろしくお伝えください。
2024.04.26 ID:1463870
小柳津さん

私の記憶違いでなければ
今日は鈴木仁一郎さんの忌日です。

遠き明治17年からの苦しい日々
丸善の存続価値を深く理解し
何とか窮地から救い出そうと
手を差し伸べてくださった
明善翁と鈴木仁一郎さん
そして小柳津さんをはじめ
丸善に残り頑張った仲間たちを
いま遠くここから顕彰いたします。

追伸
中上川彦次郎さんの書物に
丸善や有的先生が出てきました!
この書籍は丸善日本橋店に
常に置く必要がある名著です^^
2024.04.18 ID:1463535
小柳津さん

数ヶ月前からずっと欲しかった
書物を日本橋丸善で買いました!

『 中上川彦次郎の華麗な生涯 』

遠い昔、丸善のお仲間だった
朝吹英二さんや清彦と一緒に
大阪支店で頑張った伊藤さんを
画家にするため支えてくれた
武藤山治さんも登場します。

もっともっと中上川彦次郎さんの
素晴らしさを慶應義塾の仲間たちの
魅力をみんなに知って欲しいし
三井や三菱と切磋琢磨した
丸善の歴史の軌跡を
いまの丸善社員一人ひとりに
知って欲しいですね。

ただの本屋や文房具ではないことを
誇りに思って欲しい
私はそういつも願い続けています。

康恵
2024.03.31 ID:1462811
小柳津さん

昨日から突然外山さんのご子息の事が
気になり出し色々調べていたら
亡くなってちょうど100年でした。

外山さんを偲ぶ会が帝大で開催された日
感情を露わにし30分擁護演説したと
昔の記録で知り得ましたが
一体何があったのでしょうか。

私にとって岑怍さんはまだまだ
不慣れな東京生活を続ける曾祖父を
不器用だけど正直で真面目な曾祖父を
誰よりも理解し必死で守ってくれた
正義感溢れる立派な人です。

今年からお札が福澤先生から
澁澤榮一氏に変わります。
氏の孫である敬三さんは
岑怍さんの教え子ですね。

遠い昔、幕府の命で留学した
外山さんと林さんはイギリスから
帰国できず困っていたところを
徳川昭武公の一団としてやってきた
澁澤榮一氏に助けてもらいました。

また、昭武公のご子息・武定さんは
祖父清彦の同僚で丸善人。
みんな間接的に少しずつ少しずつ
繋がっているのですね。

そのことを言葉なく教えてくれた
小柳津さんの100年愛に感謝し
外山親子の墓前に手を合わせる為
谷中へとお尋ねする事を誓います。

2024年3月31日
清彦の命日に寄せて 
康恵より
2024.03.08 ID:1462056
小柳津さん

夜中に突然目が醒める日は必ず
小柳津さんを取り巻く大切な人の
旅立ちの日なのはただの偶然なのでしょうか。

今日は冨由さんのお父さんと
外山さんの日ですね。

曾祖父・ありちかを外山さん創設の
正則中学の教員として
紹介してくださったのも
小柳津さんなのでしょう。
彼のご子息である岑怍さんもまた
大変立派で公平な方だった模様。
ありちかの日記を読み知り得ました。

今日は雪が降り寒いので
青山のみんなと仲良く‥
遠い昔、外山さんと留学した日の
思い出話を林董さんから聞いてください。
そして私にも教えてください^^

宗吾さんと冨由さんにも
宜しくお伝えください。

いつもありがとう。
時を超えて感謝しています!
2024.02.14 ID:1461117
小柳津さん

丸善日本橋店頭歴史コーナーに
旧請西藩主・林忠祟公の記事が
掲載されたムック本
( 雑誌と書籍の間の意の造語 )が
並びました!!

『 図解版 殿様・お姫様は
「 明治 」をどう生きたのか 』
河合敦先生監修/扶桑社刊

幕末の荒波に翻弄されながら
その後の人生を一生懸命生き続けた 
林さんの生涯が取り上げられています。

請西藩の人たちにも遊撃隊の皆様にも
必ずや読んで欲しい1冊。

いまを生きる丸善の社員の方々は
かつての丸善社長が戊辰戦争で
箱舘五稜郭までを戦い抜いたこと
きっと誰も知らないでしょう。

私だけは小柳津さんの生きた人生と
関わり合った仲間たちのことを
ずっとずっと忘れないよ。

バレンタインデーという
好きな人に告白する日に愛を込めて
高祖母・美喜と玄孫の康恵より
2024.2.14
2024.01.15 ID:1459892
小柳津さん

書店は丸善しか行かない私が
新宿( 内藤新宿 )に用事があり
中学生ぶりにこの街の有名書店に
ふらりと立ち寄りました。

「 紀伊國屋書店 」

小柳津さんが亡くなってから
5年後の1927年にできた
現代人はよく知るこの書店で
思いがけず懐かしいお顔を見つけました。
そう、昨日命日だった金原さん。
なんだか呼ばれた気がしました。

また、世界文化社から出た
『 ビジュアル幕末1000人 』
こちらにはなんと遊撃隊の頁に
小さく小柳津さんの記載がありました!
玉置さんも載っています。

薩摩長州ばかり取り上げられているし
私のほうがずっと文章は上手いけど
小柳津さんを1000人に取り上げた
心意気、まぁ良しとしましょう。

やはりたまには敵地に
踏み入ってみるものですね。

明日は清彦の妻・愛子の誕生日です。
小柳津さんも会ったことあるかな?
名前位は知っていたよね?
いまこうして愛子の生まれ育った街に
日々貢献することができ
本当に感謝しかありません。

小柳津さん、いつもありがとう。
あなたの100年愛に深謝いたします。
2024.01.03 ID:1459394
小柳津さん

いまから103年前。
小柳津さん76歳のお誕生日に
どんなことがあったか覚えていますか?

「 第1回東京箱根間往復大学駅伝競走 」

復路を駆け抜けた4校の選手たち。
箱根路にゆかりある彼らたちでさえ
遡ること52年前、この場所で
命をかけて戦った若者たちのことを
知らなかったことでしょう。

戊辰の役から150年後の2019年。
箱根町はこんな1冊を発行しました。

『 戊辰戦争ー小田原藩×遊撃隊ー 』

この中には箱根戦争脱走名前書控として
遊撃隊士全員の名前が書き残されたもの他
あの日の戦い・足跡がわかる資料が
多数掲載されています。

購入してからすぐに記事を書くつもりが
まだそのままになっていること。
何度も箱根に行きながら
いまだ小柳津さんが建てた
請西藩士たちへの顕彰碑を
目にできていないこと。
ここにお詫びいたします。
(早雲寺境内にある顕彰碑には
お詣りできています)

小柳津さんは明治末期
雑誌のインタビューで
最近の若者は口先だけなのが
許しがたいとお話ししていましたね。
まさにこの状況…

もう1つの「 箱根物語 」
私が必ず伝え残します。
2023.12.24 ID:1458858
小柳津さん

先日の大鳥圭介男爵の本はいかがでしたか。
維新後、旧幕府軍も薩長新政府軍も
ともに手を取り合い連携し
新しい日本の国作りに奔走したこと。
いまでも長州が嫌いな私には目から鱗でした。

『 榎本武揚とメキシコ殖民移住 』

今日から読み始めたこの1冊も
八木佐吉さんの盟友・反町茂雄さん率いる
一誠堂書店で見つけた本です。
総督の人生を是非一緒にご覧ください♡

さて、明日は12月25日。
クリスマスです。

「 サンタクロースは丸善屋上に宿して
幸福なる貴婦人令嬢 紳士諸君の来るのを待つ 」

今年も小柳津さんの出番となりました。
ご準備よろしくお願いいたします。

白髭の小柳津さん。
今年もあなたが私のサンタクロースです。
時を超え、私に言葉なく教えてくださる
摩訶不思議なさまざまな出来事に感謝し
これからも小柳津家と丸善を顕彰していきます。

美しい信子さん、やさしい宗吾さん
月命日の淑子さんにも
どうかよろしくお伝えください。

明日の晩、丸善で会いましょう!
2023.12.05 ID:1458084
小柳津さん

今日は明治43年日本橋丸善の聖地に
あの立派な赤レンガビルを建てた
佐野利器さんの命日です。

小柳津さんが亡くなった翌年に起きた
未曾有の大震災で品格ある姿は
跡形もなく消え去ってしまったけれど
いまもその一部が旧本所区横網町の公園に
残されており、私は時々会いに行ってるよ。

さて、今日はいま読んでいる本が
あまりに面白く
小柳津さんにも見せてあげたいと…

『 大鳥圭介の英・米産業視察日記 』

大鳥圭介師匠を始め、多くの旧幕出身者や
レンガを日本に普及させた宇都宮三郎
工学の父といわれた、山尾庸三も登場する
小柳津さんが喜ぶこと間違いなしの1冊。

なんといま同じおうちの林董さんも頻出。
よろしければお二人でご覧ください。
懐かしいお気持ちでいっぱいになる筈です。

追伸
この本は小柳津さん勇退後の丸善に入社し
昭和の丸善を代表する人物となった
八木佐吉さんの盟友・反町茂雄さんの店
一誠書店で見つけた1冊です!
素晴らしい書物との出合いに感謝。
2023.11.15 ID:1457304
小柳津さん

今日は丸善社員で私たち兄弟の親友だった
伊東八十八が旅立った日です。
朝の8時15分、お線香を挙げ黙祷しました。

何も悪くない真面目でやさしい彼が
部下が犯した最悪な罪を1人全て背負って
国電巣鴨駅から飛び込んでしまったことを
72年経ったいまもとても辛く思っています。

なぜ八十八が死ななければならなかったのか。
犯人は一体誰だったのか。

いまもどこかで頑張って生きているであろう
八十八の末裔たちに幸多きことを祈ると同時に
旅立った八十八が現世で生まれ変わり
幸せで心安らかなる日々を過ごし
天寿を全うすることを強く願って止みません。

小柳津さん、丸善に忠誠を尽くした
八十八をどうか宜しくお願いします。

清彦と直彦より
2022.11.23 ID:1435326
小柳津さん

今日は「新嘗祭」
現代では「勤労感謝の日」

丸善の社長になる少し前
九段坂下にあったあの著名で立派な
「鈴木真一写真館」へと足を運び
ポートレートを撮影した日です。

その時の小柳津さんは
その写真が123年もこの世に残り
大切な人の玄孫が目にし涙するとは
思ってもいなかったでしょう。

この写真は旧岡崎藩士だった
私たち家族の歴史と小柳津さんたち
家族とを繋ぐ大切な1枚であり
且つ明治の写真師・鈴木真一が
どれ程素晴らしい技術を持っていたのかを
現代に証明する貴重なものです。

世の人々が目にする小柳津要人の姿は
社長・小柳津の厳しい顔。
でもこの写真に写るのは
ただ1人の人間・小柳津要人。
本当にやさしい眼差しで
いまにも写真から抜け出てきそう。

小柳津さんの内面や人柄までをも写した
この美しい1枚の写真は後世に伝えるべく
私から然るべき場所に寄贈します。

私たちの故郷の宝・象徴である
手嶋さんが人生をかけた、カクキューさん
もしくは戊辰戦争の出発地点であり
戦後第二の人生の原点となった
沼津の街にある「沼津明治史料館」
この2つで考えています。
2022.11.05 ID:1432081
なぜ朝突然昔の小柳津さんちに
行きたくなったのか。
それがわかる不思議な出会いがあったね。

丸善インク工場が存在していた頃から
ずっと駒込林町にお暮らしだったご婦人に
偶然出逢い、持参した古地図を見ながら
113番地の場所を確認できたこと。
もっと驚いたのは、小柳津さんと親しくしていた
高村家の方にお逢いできたこと。
小柳津さんの追善の品である
あの家紋入り香合を造ってくださった
高村豊周さんのお孫さん。
光太郎さんが詠んだ
丸善インク工場の詩をよくご存知で
なんだか嬉しかったね。

小柳津さんは100年前に亡くなっているのに
まるで私と一緒に「いま」を生きてるみたい。
偶然に見せかけて私を通じて
逢いたい人に逢いに行ってるみたい。

青山霊園の一軒家の頃から
ずっと不思議に思ってたけど
やっぱり色々不思議すぎる。

小柳津要人とは一体誰なのか
その繋がりを色々な人に
一生懸命に説明してる私は
ただの怪しい小柳津教の宣教師みたい。
それでも小柳津さんが大好きで
素晴らしさを知って欲しいと思ってしまう。
小柳津さんたち家族も食べた
菊見せんべいを買った。
私の家でみんなで食べよう!
2022.09.08 ID:1421503
小柳津さん

西尾岡崎を尋ねたあの2016年からずっと
西尾市資料館の方と文通が続いています。
その方のおかげと何かとても不思議なご縁で
日露開戦の明治37年2月に離縁して以来
時の流れの中、すっかり離れ離れになった
曾祖母のいまの家族たちと114年ぶりに
繋がることもできました。
みきも有躬もどんなに喜んだことでしょう。
もちろん私もです。
なぜか自分の母を見つけた気持ちでした。

その資料館の方は西尾の方ですが
どうしても素晴らしい小柳津さんのことを
知って欲しくて色々手紙に書いています。
先日その方が送ってきてくださった本を
小柳津さんにも是非お目通しいただきたく
本日お供えいたしました。

小柳津さんとも交流があった
早川久右衛門さんから数えて
3代後の現御当主が出版された本。
小柳津さんと手嶋さんのことが
36頁、37頁に載っています。
日本橋丸善にも
是非置いてもらいたい1冊です。

先祖たちの生きた岡崎と
徳川家康公を忘れるなと
私に付けられた「康」の字。
これからも100年の時を超え
小柳津さんと国許/三河岡崎のため
色々働きかけていきます。

清彦孫・康恵
2022.08.19 ID:1416810
小柳津さん

今日8月19日は榎本武揚公が
8隻の船を率いて
品川沖を脱走した日ですね。
戦いの道中、小柳津さんが咸臨丸や回天丸に
乗船したのかと思うだけで1人躍動します。

今日予定外にふらりと尋ねた場所で
乙骨塾時代のお仲間の1人
荒川重平さんの回想録を手にしました。
以前お話しした
「沼津兵学校」の第一人者である
樋口雄彦先生がまとめた1冊。
その中に目を見張る記述を見つけました。

なんと、荒川重平さんの生まれた家は
清彦の妻の家族が代々暮らしていた家と
同じ町内で番地までもがあまりに近い
まさに目と鼻の先だったのです。
祖母はご存知の通り
東京府士族、旧幕臣の家系。
きっと顔見知りだったでしょう。      
小柳津さんはご存知でしたか?

姿がなくも生きる時代が全く違えど
小柳津さんとは
なんだか不思議と何かが繋がってる…
いつも思いもしない
不思議な偶然に出逢わせて
君は1人じゃない、私はここにいると
近くで励ましてくれている
そんな気がして仕方ないです。

不思議な国の小柳津さん。
これからも見守っていてください。
世界中の誰よりも尊敬しています。

清彦孫 康恵より
2022.05.29 ID:1339455
小柳津さん

5月24日淑子さんのお命日には
お参りできませんでしたが
赤坂郵便局に来た帰りに
お参りさせていただきました。
手ぶらで申し訳ありません。
こうして会いたい時に会えることが
何とも嬉しいです。
青山に小柳津さんたちを残して
くださった末裔の方に深く感謝いたします。

康恵より
2022.05.06 ID:1334990
小柳津さん

大正から幾つも年号が変わった今春
現代人から忘れ去られたと思っていた
島田三郎さんの伝記が刊行されました。
沼津兵学校、乙骨太郎乙、尺振八
江原素六先生など多数登場。
改めて陰ながら明治を牽引した
旧幕府方の人物たちと
沼津兵学校の素晴らしさを
噛み締めています。

小柳津さんは島田三郎さんを
沼津時代からずっとご存知だったのですね。
そして、丸善の名士講演会に招いた人々は
皆小柳津さんのお知り合いだったのですね。

この本の著者も参考にしたであろう
沼津兵学校のこまかな研究。
長年行っている人がいることを
小柳津さんはご存知でしょうか。
徳川幕府の粋を集めながらも
数年で消えた沼津兵学校と
旧幕府の人々のことを時を超え
顕彰してくださっているのは
樋口雄彦さんという歴史学者の方です。

明治という新たな時代に向かい
沼津のまちでひたむきに生きた
若き日の小柳津さんを
生涯に渡り戊辰の仲間を
大切にし続けたことを
活字を通じ
私に伝えてくださったのは
この方にほかなりません。
小柳津さん、嬉しいですね。

島田三郎さんの本は
丸善2階にあります。 
大変面白いです。
康恵
2022.03.11 ID:1322584
小柳津さん

今日不思議な夢を見ました。

本がたくさんある部屋の中で
赤いセーターを着た男の人が
一生懸命に様々な本を手に取っては
走り回っている夢。
振り返るとそれは山崎民雄さんでした。

戦争による空襲の中
亡くなった民雄さんは
祖父のほぼ同期入社の近しい仲間。
本の図書館を作ることを夢みながら
戦禍に消えていった民雄さんは
いまのこの現状を知り
なにか伝えようとしたのかもしれません。
確か今日は民雄さんの命日の筈です。

小柳津さん、なんとも不思議です。

追伸
正月1日にいただいた
沼津霊山寺さんの大箱マッチが
ついに半分になりました。
毎朝マッチを擦りお線香をあげ
青山霊園に向かい手を合わせる私は
いまに生きるマッチ売りの少女ですね
これからも丸善人をお見守りください

康恵より
2021.10.15 ID:1308441
小柳津さん

今日は新渡戸稲造先生の命日でした。
邦太さんの結婚式に彼が列席していたかと
思うと本当に不思議な気持ちになります。

彼の旧友であるあの内村鑑三さんの
義伯母がみきだったこと
小柳津さんはご存知でしたか?
これもまた不思議な縁ですね。

2人をよく知る美しきのぶ子さんの
御霊安らかなれといつも祈っています。

新渡戸稲造先生の命日によせて
みき玄孫 康恵より
2021.10.15
2020.12.24 ID:1165924
「 サンタクロースは
丸善屋上に宿して
幸福なる貴婦人令嬢
紳士諸君の来るのを待つ 」

クリスマスイブの今日
日本橋丸善屋上に
白髭の小柳津さんが現れる気がして
祖父と父に会える気がして
この場所に来てしまいました。

クリスマスが大好きだった父。
清彦はどんなプレゼントをあげたのでしょう。

私の今年のクリスマスプレゼントは
小柳津さんたちに再会できたことです。
また会いにいきます。
2020.12.09 ID:1157155
小柳津さん

今日もまた小柳津さんたちに会えて
とても嬉しかったです。
お線香をあげて手を合わせ
小柳津さんたちの名前に
そっと手を触れることしかできないけれど
会いたい時にすぐ会いに行けることが
とても嬉しいです。

別れの時がいつも悲しくて仕方ない。
今日も何度も振り返っては手を振りました。

もうすぐ八木佐吉さんの命日です。
若き日の小柳津さんの生き様に光を当て
後世に残してくれた大切な丸善人。

小柳津さんが亡くなった時に
高村豊周氏が作ってくださった追善の品は
八木さんのお子さんのお手元に
いまも保管されているはずです。

ご家族が手放したものの
ゆかりない人の手に大切な品が渡るのが
嫌だったのかもしれませんね。
私から誰にも売らずに八木さんのところで
保管してくださいとお願いしてきたから
大丈夫だと思います。

また会いに行きますので
皆さんと仲良くお過ごしください。
2020.12.02 ID:1153117
小柳津さん

先日は約3年ぶりに小柳津さんたちご家族に
再会することができ本当に嬉しかったです。

何とも不思議な不思議な形で
小柳津さんたちのお引越し先を教えてくれた、林董さん。
こんな不思議なことがなぜ私に起きるのか怖いけれど
人というものは亡くなってどれだけ月日が過ぎようと
その「 心 」だけはずっと生き続けているものなのだと
またも言葉なく教えられたのかもしれません。

あの日以来、毎朝小柳津さんたちの「 家 」のある
方角に向かい心静かに手を合わせています。

私は小柳津さんたち家族の永遠の「 不忘義団 」

これからも宗吾さんや淑子さんを始め
できるだけ皆さん全員のお命日に
お花とお線香を持って会いに行きます。

小柳津さんたちご家族が「 確かに生きていた証 」を
このような形で私の家の近くにお残しくださった
末裔の方に深く感謝いたします。

これからも小柳津さんたち家族を愛し続けると同時に
戊辰に散った仲間たちと丸善とを顕彰していきます。
2020.11.15 ID:1138414
大正の昔、笑顔のかわいい1人の少年が
日本橋丸善に入社してきました。

彼の名は「 伊東八十八 」
私たちにとって弟のような特別な存在でした。
それから30年。
真面目一筋に丸善で働き続けた彼を
ある事件が襲いました。
彼は3カ月苦しみ悩み追い詰められ
ついに11月15日朝8時15分
出勤途中の駅で自死を選びました。

なにも悪くないただ真面目に生きてきた
八十八がなぜこんな最期を迎えたのか。
到底納得することはできません。
私たちでさえいまだ悲しく涙が出るのだから
残されたご家族は生きながら魂を奪われ
みな丸善を憎み続けたに違いありません。

勤続30年表彰のその年に起きた
彼と家族の運命を大きく変えたこの事件。
私は大切な弟を思うようにこの日この時間に
手を合わせ八十八の心に寄り添います。

君はなにも悪くないんだ
苦しむ必要はないんだよ
そう八十八に言ってあげて欲しい。
彼を抱きしめてあげて欲しい。

二度とこのようなことが起きないよう
いま丸善で一生懸命働いている人たち
1人ひとりの存在をお見守りください。
2020.10.24 ID:1123019
小柳津さん

遠い昔「 ロイヤルタイプライター 」を
率先して宣伝・販売した間宮不二雄さんを
覚えていますか??
用度庶務係だった伴亀之助さんの紹介で
明治36年に丸善に入社したあの彼です。

小柳津さんが勇退する1年前に
丸善を辞めてアメリカに留学した彼は
その後日本初の図書館用品商社を設立します。
栗野彬さんの晩年大阪で偶然2人は出会い
彬さんが突然亡くなるまでの間
ずっと親しく交流していました。
彬さんが最期に会った丸善人は間宮さんであり
没後すぐかけつけてくれたのも間宮さんです。

小柳津さんは私に教えてくれましたね。
お世話になった人の命日にはお墓にいくのだと
だから今日間宮さんに会いに行きました。
2人で働いたあの懐かしい赤レンガ社屋の
絵柄のノートと大阪支店で撮った写真を
プレゼントし 色々な話をしました。

彼が旅立って50年という節目の日に
ありがとうという深い感謝の気持ちを
直接伝えることができましたことを
小柳津さんにもご報告いたします。
2020.10.17 ID:1117199
戦後不況で東大を出ても
就職先がなかなか決まらなかった
私の叔父にとある民間企業から
お声がかかりました。
「 福助足袋 」
現在も頑張っている立派な会社です。

いまを生きる家族たちは
どこからそのありがたいお話をいただいたのか
ずっと不思議に思っていました。
最近になり のぶ子さんのご家族が
福助足袋創業の関係者とわかり
やっと子どもの頃からの謎がとけました。

誰もが生きるのが大変だった荒廃した時代。
宗吾さんの温かなご配慮に感謝すると同時に
私たち家族がともに日本橋丸善で
長きに渡り生きてきたことを
とても誇りに思います。

小柳津さん。
いま日本橋丸善の店頭には
明治43年竣工のあの懐かしい
赤レンガビルをモチーフにした
かわいいノートたちが並んでいます。
まだ心に留めてくださる方たちが
丸善にいることがなんとも嬉しいですね。
私はこれからも日本橋丸善を応援していきます。

姿形はなくても惟吉さんを含む
小柳津さんたちご家族の心を
不思議といつも近くに感じています。

宗吾さんの旅立ちの日に寄せて
2020年10月17日
2017.09.08 ID:198037
小柳津さん

宗和さんの日の今日。
廟所にお参りさせていただきました。

明治初年、岡崎藩の御用人だった宗和さん。
残り2人の御用人は、いずれも私の5世祖父です。
運命のいたずらか、両家の玄孫となった私。

他人から見れば、何代も後の人間かもしれませんが
小柳津さんのことを尊敬する気持ちは
みき同様、少しも変わりません。

苗字は異なれど、小柳津の血を引く方々が
これからも小柳津さんたち古いご家族を
敬愛し大切にしてくださるよう
強く願っています。

康恵
2017.07.07 ID:189051
小柳津さん

増上寺の七夕まつりにきています。

徳川幕府に最後まで忠義を尽くした
旧岡崎藩士たち全員が
来世は自由で素晴らしい人生を
送れますようにと短冊に書き
笹に託しました。

増上寺さんに祈祷していただけるそうです。

小柳津さんへの感謝の気持ちを
これからも持ち続けていきます。

ありがとう。

康恵より
2017.06.22 ID:187349
小柳津さん

昨日は大雨でしたが、
お命日にお墓参りできる
最後の機会のような気がして
お邪魔しました。

お花は飛ばされて
しまったでしょうか?
お線香の火は途中で
消えてしまったでしょうか?

中村彰彦先生が
遊撃隊の新刊を発表しました。
小柳津さんの名前も載っています。

戊辰戦争終結150年。

亀田や和多田さんの眠る田村市など
小柳津さんの足跡を引き続き辿り、
全ての藩士仲間たちにお線香を
手向けてきますので
どうか安心してください。

康恵
2016.12.25 ID:170139
小柳津さん

若き日の小柳津さんの足跡を訪ねる旅の最中、
会津若松付近で1枚の絵画に出合いました。

なぜか私の心を強く強く惹くその絵が気になり
描いた画伯のことを調べ、あれこれ辿った結果
かつて長く『学鐙』の編集長をしていた方と
祖父との深い繋がりがわかりました。

クリスマス・イヴの昨日、その方のご家族から
あたたかいお手紙を頂戴しました。

小柳津さんのことを調べることで
次々に見えてくる、不思議な出来事。

人と人とは、どんなに時代を超えても
不思議な縁や深い愛情で繋がっているものなのだと
教えられた気がします。

なによりのクリスマスプレゼントをありがとう。

白髭の小柳津さん。
今日はあなたが私のサンタクロースです。

私と小柳津さんの人生は
決してまじわることはなくも
遠い遠い家族の時代から
こうして見えない絆でずっとずっと
繋がっていることを忘れません。

本当にありがとう。

康恵より
2016.06.21 ID:160069
小柳津さん

「請西の人たちが
(お墓参りに)きてくれたけど
すぐに帰ってしまったよ」と
昨日夢の中で嬉しそうに仰って
いましたね。

箱根で亡くなった
請西藩士たちのため、
供養塔を有志で建てたのは
小柳津さんを筆頭に、わずか3人。

今でもその感謝を忘れずにいて、
お命日前日の昨日
青山まできてくれたのでしょうか。

なんとも
不思議な夢でした。

旧幕府軍の中でも
大変辛い人生の後半戦を送る
ことになった、
請西藩主 林昌之助忠崇公。

請西藩家臣団の人たちの存在も
きっと戊辰戦争後は
すっかり忘れ去られていたのでしょう。

そうした人の存在を忘れず
供養のため、奔走した心優しく
忠義心に厚い小柳津さんを
私は心の底から尊敬し

小柳津家と我が家が
江戸時代から親しい間柄だったことを
大変誇りに思います。

今月も無事廟所に
お参りさせて
いただきまして
ありがとうございました。

お墓参りの最中、どこからともなく
飛んできた大きな蝶が
フワッと私の肩にとまりました。

またも不思議な体験です。

康恵
2016.06.04 ID:159410
小柳津さん

昨日は我が一族が最後にお仕え
した藩主・乗秩様のお命日と
いうこともあり、菩提寺に
お参りにいきました。

6年前、このお寺に初めて
足を運んだ時、大変に優しく
出迎えて下さり、古い時代の
ご先祖を大切にすることは
とても素晴らしいことだと
お褒め下さった方の父上様が
あの大樹寺さんの数代前の
ご住職だと知り 言葉を失いました。

「厭離穢土 欣求浄土」

先日大樹寺さんでいただいた御朱印に
記されたこの家康公 所縁の言葉が
このお寺にも掛け軸として
飾られておりました。

岡崎の小学生は
全員暗記させられる言葉とのこと。

幼い頃の清彦もこの言葉を
口ずさんだのでしょうか。

不思議な出逢いを次々に与え、
先人との所縁ある繋がりを
教えてくれるのはなぜなのですか。

ご縁というものが本当に
この世にあり 同じ時代を生きずとも
先祖とは必ずどこかで繋がっている
のだと痛感せざるを得ません。

厭離穢土 欣求浄土
君も使命感を持って生きなさい
そんなメッセージなのでしょうか。

康恵
2016.05.24 ID:158948
小柳津さん

土曜日にお供えした百合のお花は
まだ枯れていないでしょうか?

カサブランカの仲間で
シベリアという種類のお花。

威厳があり、美しく
大変に上品で……

淑子さんはきっと
このお花のような方でいらしたのかも
しれないですね。

小柳津の家を何とか守るため
数々のことに尽力した淑子さんは
本当に立派な方だと思います。

小柳津さん。

頑張って生きた淑子さんを
どうか抱きしめてあげて下さい。

ご家族の方が会いにきて下さるよう
お祈りしております。

康恵





2016.05.05 ID:158165
小柳津さん

岡崎の街には、城あれど
本多岡崎藩士たちの史実は
殆ど残されておらず
大変に驚き悲しく思いました。

明治の世になっても
郷里を忘れず
カクキューさんのため
東奔西走したことや
図書館開設のために
多くの書物を寄贈したこと。

時代が変わってもずっと
藩士仲間との繋がりを
大切にしていたこと…….

激変する時代に、どう気持ちを
切り替え 前向きに努力し
生きたかが大切なのに
脱藩したという記載しかない。

城に来る岡崎の子どもたちに
この町には
「小柳津要人」という時代の波にも
負けず、仲間を大切にしながら
力強く新しい時代を生き抜いた
素晴らしい人物がいたということを
何とか知ってもらいたい
私はそう思います。

「心を起こそうと思わば
まず身を起こせ」(藤村×ニーチェ)

馬籠宿で出合ったこの言葉
に従い、 私は小柳津さんの
功績を史実として後世に、
岡崎城内にしっかり残せるように
これから動き出します。

康恵
2016.04.30 ID:157978
小柳津さん

ついにこの日がまいりました。

先人たちが愛し過ごした
歴史深き三河での時間を、
皆の生きた人生と
その故郷とをしっかりこの目で
見つめ、心で感じてきます。

もちろんあなたの
ポートレイトも一緒です。

私も淑子さんのように
自分のご先祖のために
この家最後の人間として
立派なアンカーマンを
つとめたいと思います。

小柳津さん、
いざ出立です。

康恵
2016.04.28 ID:157906
小柳津さん

おはようございます。

私の仲間となる岡崎藩士らしき方へ
昨日お手紙を出しました。

「岡崎藩士分限帳」に記載のない
藩士たちの名誉のため

「惣まくり」を糧に
大変な時代を生きた仲間として
その名を後世にきちんと残すため
私が一歩を踏み出しました。

小柳津さんが私に伝えたかったのは
六三さんのことだったのですね。

師匠であるあの方と六三さんのため
亡くなるまで月命日に
千駄木から青山墓所に
いらしていたのだと
やっとわかりました。

生まれた場所、学び舎、仕事、住居。
いままで選択の余地なく
この道を歩んできましたが

その全てが小柳津さんの人生や恩人と
ぴったり重なることが
はっきりとわかり、怖くなりました。

「全ての道はローマに通ず」
ならぬ「全ての道は小柳津に通ず」

私は更に感謝して生きなければ
いけないと思いました。

師匠と六三さんの所には
私が代わりにお参りしてきますから
もう心配しないでね。

小柳津さん いつも
不思議体験 ありがとう。

康恵
2016.04.23 ID:157710
小柳津さん

岡崎出発まで
あと1週間という昨日。

ついに岡崎藩士の末裔らしき
人を発見しました。

かつて小柳津さんたちと
図書館開設に向け尽力、
郷土の歴史研究に
その人生の全てを捧げた
柴田顕正氏。

この方はまるで
現代を生きる同氏のように
後世に岡崎の歴史をなんとか遺そうと
東奔西走していらっしゃいます。

まさに「彰往考来」

こんな立派な志の方が
岡崎にはまだいらっしゃいます。

この方のように何らかの
情報発信をしていくことが
編集者・記者であった
私の目標ではありますが

まずは小柳津さんのように
自分の書籍を岡崎中央図書館に
寄贈するなど、できることから
岡崎に貢献していきたいと
思っています。

小柳津さん
いつも勇気をありがとう。

時の流れとともに
みんなが小柳津さんを忘れても
私だけはいつも忘れないよ。

小柳津さんは私のこの心に
ずっと生き続けています。

康恵
2016.04.20 ID:157614
小柳津さん

今日もありがとう。

かわいいお花さんたちが、日曜日の強風で
吹き飛ばされてしまったかもしれないと
心配になり、また足が向いてしまいました。

夢に出てきた小柳津さんは
お墓を拝む後ろ姿だったけど
「私はこうして亡くなるまでずっと
月命日に足を運んだものだよ」と言っていましたね。

どなたの月命日だったのか
気になるところです。

明日は、小柳津さんと邦太さんの月命日。

綺麗なお花さんたちと一緒にあたたかく
お迎え下さい。

康恵
2016.03.31 ID:156694
小柳津さん

今日は清彦のお命日です。

遠い明治のあの日
小柳津さんと美喜が
決めた丸善入社という道。

清彦は亡くなるその日まで
2人の志をしっかりと守り
丸善にその人生を捧げました。

主君に忠実に、仲間を大切に
贅沢を慎み 堅実に生きる--

彼がその76年の人生の中で
貫いた姿勢は
まさに、三河武士そのものです。

小柳津さんが人生の指針を
与えて下さったことで
清彦は素晴らしい仲間とともに
その生涯を過ごすことができた、
私はそう思っています。

美喜や清彦が信条にした
「三河魂」を
「小柳津スピリッツ」を
私も生涯の糧とし、
これから更に一生懸命
生きていく努力をしてまいります。

今日は清彦が生前愛した
赤坂の秘密基地でゆっくり
ちょっと贅沢にお食事をした後
夜桜を鑑賞する予定です。

小柳津さんも是非ご同席下さいませ。

康恵より
2016.03.16 ID:155924
小柳津さん

おはようございます。
すっかり春らしい季節になりましたね。

昨日「M」の色々を私の手元に
持ち帰ってきました。

大正初期に撮影されたであろう、
社員の全体写真には
晩年の小柳津さんと若き日の清彦が
写っていました。

「先人たちが深く愛し、
1歩ずつ築いてきた歴史ある丸善を
なんとか今後も守りたいものだねぇ」

大正7年生まれ。
今年で98歳となる、新海竹太郎先生作の梟さんが
毎朝私にそう話しかけてきます。

これまで広告や編集・記者と好きなことを
させてもらい、生きてきました。

これからは、丸善や祖先の故郷・岡崎のために
いまの自分になにができるのかを考え
しっかりと行動したいと思っています。

小柳津さん
今日も1日よろしくお願いいたします。

康恵
2016.03.13 ID:155764
小柳津さん

清彦の遺した手帖の友人欄に
「塚原周吾」という
お名前を見つけました。

同氏のお父上・塚原周造氏は、
箱館・五稜郭に散った
浦賀与力・中島三郎助氏の意志を継ぎ
榎本武揚公、荒井郁之助公と3人で
浦賀ドックを作った人物。

なぜ清彦とそのご子息が
友人だったのか
とても気になります。

私は昔からずっとずっと
前向きで勇気溢れる
中島三郎助が大好きで。

まさか若き日の
小柳津さんが
同じ時間・同じ場所で
大好きなあの三郎助と
一緒に戦っていたなんて
本当にいまでも信じられません。

周りに歴史がわかる人がいないから
小柳津さんがどんなに凄いのかを
誰とも共感できず、本当に残念です。

4年位前から
日々出合うものや出合うことが不思議と
全て榎本武揚公や戊辰戦争に繋がり
最終的に必ず小柳津さんに
いきついてしまいます。

毎日が不思議の連続。

なにか私に伝えたいことが
あるのかな。大丈夫?

青山からどこか遠くへ
行かないでね。

また会いに行きたいから。

康恵
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